東京高等裁判所 昭和34年(う)1529号 判決 1960年2月11日
控訴人 検察官 岡崎格
被告人 佐渡広司
弁護人 島田正雄
検察官 大津広吉
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人提出の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。
ところで、所論は要するに原判決は本件公訴事実については適法な告訴があつたものとは認め難いとの理由に基き本件公訴を棄却する旨の言渡をしたのであるが、右は訴訟手続の法令に違背し、不法に公訴を棄却したものであつて到底破棄を免れないものと思料する旨主張する。
仍つて所論に基き本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案するに、原判決が本件公訴事実につき適法な告訴があつたものと認め難いとの理由に基き本件公訴を棄却したのは洵に相当であつて、原判決にはいささかも所論の如く訴訟手続の法令に違背し、不法に公訴を棄却した違法は存しない。今その理由を詳説する。
ところで、本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和三三年九月七日頃東京都大田区新井宿二丁目一四七八番地所在大森東映劇場(旧称大森ハリウツド劇場)内婦人便所において□□○○子(昭和二四年一月二二日生)を、同女が一三才未満であることを知りながら、姦淫しようと決意し、同女のズロースをはずし陰茎を同女の陰部に強く押しあて姦淫しようとしたが、射精したためその目的を遂げなかつたものである」というにあるのであるが、かかる強姦未遂の犯罪たるや、所謂親告罪であつて公訴提起の要件として適法な告訴を必要とするものであること洵に明らかである(刑法第一八〇条第一七七条第一七九条)。
ここに告訴とは法律上告訴権を有する者が検察官若しくは司法警察員に対して犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示であつて、その方法は書面若しくは口頭によることを要するのである(刑事訴訟法第二三〇条乃至第二三四条第二四一条)。
そこで本件につき右の如き告訴がなされたか否かを記録により審究するに、
先ず□□××子の司法警察員に対する昭和三三年一一月三日付告訴調書によると、右××子が司法警察員に対し口頭で、佐渡という人から長女の○○子が被害を受けた旨申し述べ、これについて厳重な処罰を求めていることが認められるけれども、此の調書だけでは○○子がいつ、何処で、如何なる被害を受けたか明らかでなく、只此の調書には同日付の○○子の司法警察員に対する供述調書の内容が引用されておるところから、両者を綜合すると、右××子が、佐渡なる者を加害者、○○子を被害者とする強姦未遂の事実について処罰を求めていることが認められるのである。そして右□□××子の昭和三三年一一月二八日付田村検事に対する供述調書中の供述記載によつても、本件につき処罰を求める趣旨の意思表示の存在することが認められるのである。ところが原審証人□□△△の原審第一回公判調書中の供述記載、東京都大田区長作成の□□△△の戸籍謄本の記載によれば、前記××子は被害者○○子の継母であつて親権者ではないことが明らかであつて、本件につき告訴権を有しないのである。従つて右□□××子の前記意思表示はこれを以て適法な告訴とは認め難いのである。
よつて進んで、本件につき被害者○○子本人若しくは○○子の実父にして親権者たること右戸籍謄本により明らかな□□△△より本件公訴提起前に適法な告訴があつたか否かを検討するに、被害者たる□□○○子の司法警察員に対する昭和三三年一一月三日付供述調書中の供述記載には、本件公訴事実に対応する記載があり而してその末尾に「今度からこんないやらしいことをしないようにして下さい」との記載があるのであるが、○○子は当時一〇才未満の少女であつて完全な意思能力を有しないものと認められるのみならず、この程度の記載を以つてしては未だ被害者たる○○子より口頭による告訴があつたものとは到底認め難く、而して昭和三三年一二月一日付の電話聴取書によると、その内容欄に「昭和三三年一一月三日付をもつて告訴致しました佐渡広司に対する強制わいせつ事件の告訴は取消致しませんから厳重な処分をお願い致します」との記載があり、その発信者欄には「大田区新井宿二丁目一五一五番地大森ホテル別館内□□」との記載があり、受信者欄には「東京地方検察庁刑事部田村検事」との記載があるのであるが、これと同聴取書に引用されている前記××子の告訴調書及び更に同調書に引用されている○○子の供述調書を綜合しても、□□××子より告訴を維持する旨の意思表示のあつたものと認めるは格別、その意思表示が□□△△よりなされたものであるとは到底認められないのである。
ところが、原審証人田村達美、同□□△△、同栗原弘恵の原審公判調書中の各供述記載に、□□××子の前記告訴調書及び検察官に対する供述調書の各供述記載を綜合考察すると、原判決も説示する如く、事の経過は、本件捜査担当の田村達美検事は、××子を○○子の実母であると信じて当然告訴権を有するものと速断し、右××子の司法警察員に対する告訴を有効であると考えていたが、××子が同検事に対し、告訴を維持するかどうかは夫と相談してきめたい旨述べていたので、たまたま同年一二月一日○○子の父□□△△から被告人の保釈の件について問い合せて来た際、△△に告訴を維持するかどうかを確め、同人から「告訴を取消さないから厳重に処分を願う」旨の答を得て、その旨の電話聴取書を作成したことが認められるのである。従つて右電話聴取書の発信欄の「□□」とあるのは実際は××子ではなく、△△であることが認められるのである。
そこで先ず電話による告訴が適法であるか否かを考察する。
ところで、検察官又は司法警察員は、口頭による告訴又は告発を受けたときは調書を作らなければならないのであるが(刑事訴訟法第二四一条第二項)、右調書の作成の方式について詳細な規定の設けられていないことは所論のとおりである。然し所論の如く刑事訴訟法上口頭とある場合には当然電話による通話を包含するものと解することが同法の趣旨に適合するものと解すべき根拠はこれを発見し難いのであつて、寧ろ口頭とは本来対話者が直接相対し、その面前において行う応対を指すものとするのが通例であり、同法或は刑事訴訟規則において、口頭と規定する場合にも右の用例に従つているものと解せられるのであつて(刑事訴訟法第六五条第二項、刑事訴訟規則第一二九条第一項第二〇九条第五項第二九六条第一、二項参照)、口頭による告訴の場合に限り当然に電話による対話を包含するものと解すべき根拠に乏しいものと解せられるのである。しかのみならず、表意者の辨別並にその意思表示の内容の明確を期するについて面前における対話と電話による場合とは必らずしもこれを同一に論じ難いことは勿論、更に刑事訴訟法が口頭による告訴の場合に調書の作成を必要としているのは、畢竟表意者を特定し、その意思表示の内容を明確ならしめ、後に疑いを残すことのないよう配慮しているものに外ならないのであるが、この点についても、前者の場合には調書に表意者の署名押印を求めることにより、その内容の確実性を保障し得るに反し、後者の場合にはかかる保障を期待し難いのである。従つて以上何れの点からしても電話による告訴は口頭形式の一場合として当然許容せられるものとは遽に断じ難いのであつて、仮に口頭の一形式として許容せられるとしても、調書により表意者並びにその意思表示の内容が特に明確にせられている場合に限るものと解するのが相当である。而して本件においては前記電話聴取書こそ正に口頭の告訴に基き作成せられた調書であると認められるのであるが、右電話聴取書の記載たるや前記の如く発信者欄には単に「□□」とあるのみであつて、告訴をなした者が何人であるかその記載のみでは判明せず、内容に引用の他の告訴調書等を以つてしても、それを□□××子と認めるは格別、本件起訴前においてはそれが□□△△によつてなされたものと認めらるべき資料は全然存在しないのである。
然し親告罪における告訴は起訴についての重要な訴訟条件たるものであるから、少くとも起訴の当時告訴した者が何人であるか、犯罪事実の如何等の如き事項は、固より明確であることを要し、仮令それがその後の審理においてその不備の点を補充し得るとしても、それには自ら限度の存することは原判決説示のとおりである。然るに本件においては前段説示の如く電話聴取書における表意者の表示に明確を欠くのみならず、原審の審理の経過に徴するも、□□△△は単に告訴を取消さないから、厳重に処分を求める旨の意思を表示したに止り、何等具体的な犯罪事実を明示していないのであつて、意思表示の内容からするも、未だ新たな告訴としての要件を備えているものとは認め難いのである。
以上説示の如く本件公訴事実については、本件公訴提起前において適法な告訴がなされたものと認むべき明確な資料は存在しないのであつて(それは当審における事実取調の結果に徴するも極めて明らかである)、原判決が、本件電話聴取書の形式、内容の不備、該聴取書作成当時の捜査機関たる田村検事及び□□△△の真意に対する解釈上の疑問の故に、本件につき適法な告訴がないとして本件公訴を棄却したのは洵に当然であつて、所論は総べて採用し難い。論旨はその理由がない。
仍つて刑事訴訟法第三九六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 目黒太郎)
検察官岡崎格の控訴趣意
原判決は、昭和三十三年十二月六日附を以て公訴の提起せられた被告人佐渡広司に対する公訴事実、即ち「被告人は昭和三十三年九月七日頃東京都大田区新井宿二丁目千四百七十八番地所在大森東映劇場(旧称大森ハリウツド劇場)内婦人便所に於て、□□○○子(昭和二十四年一月二十二日生)に対し、同女が十三才未満であることを認識し乍ら、同女を姦淫しようと決意し、同女のズロースを外し陰茎を同女の陰部に強く押しあて姦淫しようとしたが、射精したためその目的を遂げなかつたものである」との本件公訴事実に対し、適法な告訴があつたものとは認め難いとの理由に基き、「本件公訴を棄却する」旨の言渡をなしたが、右判決は訴訟手続の法令に違背し、不法に公訴を棄却したもので、到底破棄を免れざるものと思料する。
その理由は次の通りである。
第一、原判決の問題点
一、原判決は、本件の被害者□□○○子の継母である□□××子(以下それぞれ単に○○子或は××子と略称する)が、昭和三十三年十一月三日附を以て司法警察員に対し行つた告訴は、適法な告訴権者がなした告訴に非ざるが故に無効なりとし、更に同年十二月一日附を以て検事田村達美が作成した電話聴取書の記載によるも、同日○○子の実父□□△△(以下単に△△と略称する)より適法な告訴があつたものとは認め難いとの理由を以て、本件公訴を棄却したものである。右判示中、継母××子の告訴が無効であることについては敢えてこれを争うものではないが、本件の問題点は一件記録に徴し、○○子の親権者たる△△が公訴提記前に捜査機関に対し告訴したといい得るか否かの点に集中するものと云わなければならない。
二、この点に関し、原判決は「事を飽くまで実質的に考える限り本件については、△△から適法な告訴があつたと解することも一見不可能ではないように思われる」ことを前提とし乍らも、結局親告罪の告訴については、刑事訴訟法の規定の趣旨から相当高度の明確性を要求されるものとし、従つて告訴当時に於て告訴ありたることが、告訴状乃至告訴調書により相当程度明確にされる必要があり、公判段階に於て提出される資料に基きその不備を補い或はその真意を解明することには自ら限度があるものと解すべきであるところ、本件については右限度を超えており、(一)電話告訴の有効性に対する疑問、(二)電話聴取書の形式、内容の不備、(三)右聴取書作成当時の捜査検事及び△△の真意に対する解釈上の疑問等があるので、△△から適法な告訴がなされたと認めることは妥当でないと判示しているのである。従つて本控訴趣意に於ても主として右の問題を中心とし、これに対する見解を詳述すると共に原判決の不当なる所以を明らかにして行きたい。
第二、告訴の方式
一、原判決は、刑事訴訟法第二三〇条乃至二四四条の規定の趣旨から見て「特に親告罪における告訴については、相当高度の明確性が要求されているものと解される。従つて刑事訴訟法第二四一条に定める書面または調書についても、その形式、体裁、内容等をあまりにゆるやかに解することは許されないものと解するのが妥当である」旨判示している。勿論親告罪に於ける告訴は単に捜査の端緒たるに止らず、公訴提起の有効要件として所謂訴訟条件である。従つてその存在の明確性を保障する為め、刑事訴訟法が告訴に関する規定中に親告罪の告訴につき特別規定を設けていることは事実である。然し乍ら同法第二四一条は、右にいう親告罪の告訴に関する特則ではなく、又、親告罪の告訴につき特に一般の告訴に比し方式の厳格性乃至内容の明確性を要求した規定でもない。そればかりか刑事訴訟法及び刑事訴訟規則は、告訴状或は告訴調書についてその形式、体裁、内容に関し何等規定するところがないのである。(これに比し例えば公判調書に関しては刑事訴訟規則第四五条以下、捜査機関の作成する供述調書については刑事訴訟法第一九八条第四項第五項第二二三条第二項参照)従つて告訴ありとされるには被害者その他一定のものから捜査機関に対し、犯罪事実につき犯人の処罰を求める旨の意思表示ありたることを認定し得れば足りるものであり(最高裁昭和二六年七月一二日判決、判例集五巻八号一四二七頁)、告訴状の提出、告訴調書の作成は告訴の意思表示ありたることを明確にするための方法ではあつても、告訴の意思表示の存在についての唯一の又は決定的な証拠ではない。即ち告訴があつたかどうかは告訴状又は告訴調書の存否、その形式の如何に拘束されることなく自由にきめることができるのである。
二、ところが原判決は、「公判における証人等の供述によつて、告訴状の不備を補い、あるいは供述者の真意を解明するのにも自ら限度があると解すべきである。この点はいわゆる『告訴の追完』が認められていない点からも当然であると思われる」旨判示している(二一九丁裏乃至二二〇丁表)。ここに所謂限度と云う意味は必ずしも明確でないが、原判決は右限度を認める理由として告訴の追完が認められていないことを挙げているので、追完に類するような告訴の補充又は告訴意思の解釈は許されないとする趣旨と解される。しかし所謂告訴の追完とは、公訴提起前に告訴がない場合これを公訴提起後になすことにより、公訴提起を有効ならしめ得るか否かの問題であり、本件の如き公訴提起前に告訴の意思表示があつたかどうかについて、公訴提起後に明らかにされた資料をも併せ参酌することとは全く性質の異る問題である。従つて告訴の追完が許されないことを理由に、本件において告訴なしとすることは誤りであるといわなければならない。告訴の如きは一般私人の行う訴訟行為として、その形式にとらわれず、できるだけ告訴権者の意思に添うように取り扱つて行くのが刑事訴訟法の原則である。
三、然るに原判決の所論は、恰も親告罪の告訴については方式にかなりの程度の厳格性が要求され、それが告訴の有効要件であるかの如き見解を強調しているものであり、正しく原判決自体が指摘する「徒らに形式的なことによつて実質的なことを犠牲にする弊を招き、ひいて告訴制度本来の趣旨にそむく」誤りを犯したもので、原判決はこの点からも破棄を免れないものと思料する。
第三、電話告訴の有効性
一、原判決は既述の通り電話による告訴は、口頭による告訴といえるかどうか若干疑問があると判示している。しかし、かかる疑問を持つこと自体甚だ現実離れをしているというべきである。現代文明の発達は真に目覚しいものがあるが、就中電話の普及度はその国の文明水準を示すものとまで云われており今や電話は一般社会生活に於て不可欠の要素となつている。されば今日電話により自己の意思表示を対話者に伝達することの可能性について危惧するものは絶無であり、対話者間の場所的離隔の故に意思表示の正確性について疑念を抱くことは非現実的である。
二、ところで現行刑事訴訟法は第二四一条に於て告訴の方式につき、書面又は口頭によるべきことを明示している。従つて電話を利用して告訴が行われた場合これを書面による告訴と解することはできないので、その告訴を適法とするためには、それが口頭による告訴そのものと解し得るか将又口頭告訴に準ずる告訴方式として適法なものと解すべきかが一応問題となろう。この点に関する判例としては、過去に電話による公訴提起を無効とした大審院判例があり、その判決理由中に於て「電話ト口頭トハ、孰レモ其ノ対話者間ノ交渉タル点ニ於テハ差別ナキモノナリト雖モ、電話ハ事実上之ヲ面前ニ於ケル対話ト同一視スルヲ得サルモノ」との見解が示されている(大正一四、七、四判決大審院刑事判例集四巻四八〇頁)。然し乍ら右判例は旧刑事訴訟法第二九〇条に於て予審請求並に公判中の余罪追起訴について、口頭乃至電報による公訴提起を例外的に許容していた当時のもので、その判示理由が現在の然も告訴にそのまま適用されるものとは思われない。現行刑事訴訟法は旧法と異り口頭起訴の例外を一切認めず書面起訴主義を徹底させたが、その理由は第一に、所謂不告不理の原則下に於ては、公訴提起は刑事訴訟の根底となるべき重要な手続である為め、殊更不正確な口頭起訴を排除する必要があつたことと、第二には当事者主義の徹底の見地から、公判開始前に被告人に公訴事実の内容を正確に通知し防禦権の行使を充分ならしめるとの見地から、現行法が起訴状謄本の送達制度を採用したことと相俟つて、書面主義の厳守が要望されたからに外ならない。従つて、右判例が口頭起訴について電話方式を排斥したことは、起訴という特殊な場合についての判例として十分意味があつたと考える。しかし乍ら告訴の方式について現行法は従前通り書面或は口頭によるものとしており、然も既述の通り告訴状或は告訴調書の形式に関しては何等詳細なる規定を設けておらないのである。このことは取りも直さず、現行刑事訴訟法が当事者主義、公判審理主義の訴訟構造を徹底し、訴訟手続につき相当厳格な形式的制約を設け乍らも尚、公判以前の捜査段階に於て然も当然一般人の関与を予想される告訴の方式については、専ら合目的的立場から徒らに形式的厳格性を要請することを控え、告訴制度の本質及び機能を充分効果あらしめんが為の配慮に外ならない。
三、斯様に解するならば、現今の訴訟法の趣旨並びに社会通念の下に於て、電話による告訴の方式を口頭による場合に比し、単に現実の面談でないからとの理由のみによつてこれを不適法となすべき理由は毫もないばかりか、却つてこれを認容し、電話の有する迅速且つ機能的な効用を活用することが、数多く予想される不合理な事態から被害者を救済し得ることにもなると云わなければならない。もつとも電話告訴については対話者が面談していない為第三者による偽告訴の危険等があると云う一抹の懸念がある。然しこのことは告訴が書面によると口頭によるとを問わず更に又、面談の有無に拘らず起り得る事柄であり、捜査官の周到な注意乃至裁判所の職権調査の徹底により容易に解明しうる問題であつて、このことを以て電話告訴の適法性或は有効性を否定すべきではない。現に最近の科学の発達は目覚しい。この科学の進歩に伴い告訴の方式に関して例えばテレタイプ、電送写真、録音盤、シンクロリーダー、テープレコーダー等の利用が問題とされることになろう。斯様に現実に空間と時間との克服が行われつつある現在に於て、単に面接の有無に拘泥して口頭告訴と電話告訴を方式に於て異質のものとなし、引いてその有効性を区別するが如きは時代錯誤とも見られよう。刑法の如き実体法の解釈適用についても現在適正妥当なる類推解釈は禁止されたるものではない。まして本問題は実体法に非ずして訴訟条件たる告訴方式の問題である。
四、以上要するに今日に於ては電話による告訴は口頭による告訴の一態様と解すべきものであり、仮りに百歩を譲つて然らずと解するとしても、口頭の場合に準じ適法な告訴方式としてその有効性は保障されたものと解すべきものと云わなければならない。斯様な解釈は告訴制度の趣旨並びに運用上、可能且つ妥当な範囲に於ける法条の拡張解釈として認容されるべきものと確信するところである。
五、なお附言するならば、刑事訴訟法が訴訟行為の方式として「口頭又は告訴」と規定しているのは通常、書面主義をとらないという意味、いいかえれば如何なる方式でもよいという意味であり、電話その他近代科学の利用を排斥する意味ではないことは、同法全体の趣旨から十分窺えるのであつて、「口頭」を面接の場合に限るとするが如きは、規定の趣旨にも添わないものというべきである。
第四、電話聴取書の方式
一、次に原判決は、仮りに電話による告訴を有効なものと解しても調書作成について特別な配慮を要し、口頭告訴の場合に比し更に正確詳細な記載が要求されるものと解すべきであり、本件の電話聴取書の場合発信者が告訴権者たる△△であること位は明確にすべきに拘らず、これをしていないことは形式不備も甚しいものである旨を判示している。成程一般論として、電話のみによつて告訴の意思表示があつた場合に於て、その明確性を保障する為にも原判決所論の如き周到な配慮が望ましいことは当然であり、この意味に於ては原判決は相当であつてこれを非難すべき理由はない。
二、然し乍ら個別的且つ具体的事件としての本件に関する限り右判旨は全くあてはまらないばかりか、それ自体矛盾したものと云わなければならない。即ち原判決は理由中に於て、公判に於ける裁判所の職権調査の結果判明した事情として、本件の場合、捜査機関が真正の告訴権者である○○子の実父△△より公訴提起前に殊更告訴調書を徴しなかつた所以は、当時継母××子の告訴を有効なものと誤信していた過失によるものであることを判示し乍ら、尚斯様な事情下に於て作成された電話聴取書の形式内容について所謂告訴調書以上の具体性明確性を要求しようとするものだからである。捜査機関が当時の具体的事情に於ては継母を実母と誤信していた為、実父より重ねて同一事実に関し告訴調書を徴するまでの必要性を認めなかつたものの、一応念の為に△△の意思表示をも確認したことを明らかにする意図の下に作成されたものである本件電話聴取書に対し、その形式内容が不備、簡略に過ぎると論難することは、本件を、捜査機関が、当時、△△以外に告訴の意思表示をしたものがなく、従つて電話聴取書作成に充分な配慮をなすべきであることを認識し乍ら敢えてこれを怠つた場合と同一視するもので、原判決はこの点に於て所謂「原因を論ずるに結果を以てする」重大な誤りを犯したものと云うべきである。勿論本件に於て継母の告訴がなく、当初より△△の電話を受けたという場合であれば、捜査機関も電話聴取書の作成について充分留意したことであろうし、事情の許す限り更に慎重を期して△△より告訴状の提出を求め、或は告訴調書の作成を行つていたであろうことは当然予想されるのである。
三、ところで口頭による告訴の場合、告訴の意思表示を受けた捜査機関は調書を作成すべきことが義務ずけられている(刑事訴訟法第二四一条第二項)。そこで電話による告訴があつた場合に作成する電話聴取書がここに所謂調書に該当するものであるかどうかが問題となろう。所謂調書には、告訴調書、供述調書、公判調書等の区別があるが、何れも一定の事実についての公権的に作成された報告的文書である。その形式内容については、特別の規定があれば格別そうでない限り、刑事訴訟規則上、公務員の作成する一般的な書類作成方式に従うこと、即ち調書作成年月日、作成者の署名押印、所属官公署の表示等が要求されているにすぎない(刑事訴訟規則第五八条)。本件の電話聴取書は△△からの電話を聴取した捜査検事が、その直後に於て右△△から電話があつたこと及びその内容を明らかにする為に作成した報告的文書であり、電話の受信時刻、発信者、受信者、取扱者等を明示しているものである。しこうして、法は所謂告訴調書の形式体裁について特別の規定を設けていないので、電話による告訴に基いて作成された本件電話聴取書(その標題或は形式等について将来実務上考慮の余地はあるとしても)を以て、告訴調書と目することは何等妨げなきものと云わなければならない。従来の慣行に基き、口頭告訴の場合作成されている所謂「告訴調書」の形式体裁に拘泥することはこの場合無意味である。
四、なお、本件においては、電話聴取書の発信者欄に△△の姓のみが記載され名が記載されていないことが、原判決のいう「限度を超え妥当でない」ものというべきかどうかについて一言しておきたい。確かに本件においては既述の如き特殊な事情があつたとしても発信者の姓のみを記載したこと自体は不注意であり妥当でなかつたことは認めざるを得ない。然しこのことの為に、発信者が果して△△自身であつたかどうかが、職権調査の結果によつても判明しなかつた場合であれば格別であるが、原判決自体が認定した通り△△の証言により発信者が同人であつたことは明白にされているのであるから、電話聴取書に△△の姓のみが記載されていることを理由に△△からの電話であるかどうか明確でないとし、これを△△からの告訴と見ることは「限度を超え妥当でない」とするのは誤であるといわねばならない。
第五、電話聴取書の内容
一、本件に於ける最も重要な問題点は電話聴取書の記載内容を如何に解釈するかと云うことに存する。原判決はこの点に関し、右聴取書は捜査検事が△△に対し先に××子がなした告訴を維持するかどうかを問うたのに対し、△△は右告訴を取り消す積りがないと答えたことを記載したものであると認めることが、主観的にも客観的にも無理のない解釈であると判示し、従つて右聴取書作成当時には捜査検事自身△△から新たな告訴があつたものと考えていなかつたばかりでなく、△△も××子と別に新たな告訴をする意思ではなかつたと思われると結論しているのである。
二、ところで本件電話聴取書の記載内容(記録二九丁)には「××子のした告訴は取消さない」こと及び、「本件について厳重な処分を願う」旨の二個の意思表示が含まれていることは明瞭である。然し乍ら原判決所論は後者については何故かこれを無視し去り何等言及するところがない。して見ると原判決は厳重な処分を願う旨の記載について、これを単なる慣用句乃至修飾句と目して無視し去つたものか、或は右記載は当然告訴を取り消さないと云う意思表示の内容と不可分にして別個の意思表示ではないものと判断した為であると解する外はない。然し乍ら右聴取書の記載内容は妻の告訴を取り消さないと云うことよりも、厳重な処分を願うと云う意思表示の確認に重点があるもので、かく解することこそ当時の具体的事情に即した無理のない解釈であると思料する。即ち当時の具体的事情として、△△は、××子の本件告訴前に近所の子供達の話から○○子に確めて同女の被害事実を知り(記録一七丁裏)、近所の金海某と告訴について相談していたもので(同一六丁裏)、当初より本件に対して非常な関心を抱いており、××子が昭和三十三年十一月三日、大森警察署司法警察員に対し本件の告訴をなした後、同月二十八日同署に於て捜査検事より右告訴を維持するかどうかを尋ねられた際、同女は自己の一存で即答し難いので今一度△△と相談の上、△△自身からその結果を返事する約束(同二七丁裏八六丁裏九〇丁)をなしこのことを△△に伝え、他方△△は、翌二十九日近所の大島某方に赴いた際、偶々右大島の子女が同様な被害を受けたことにつき告訴するかどうかを確めに来た大森警察署員から、○○子の被害事実につき△△自身も告訴するかどうかを尋ねられ、一、二日の余猶を乞うたが、その間被告人側からは何等誠意を見せる様子がないので、同年十二月一日△△自身が電話を以て捜査検事に対し、電話聴取書記載内容の如き意思表示をなしたものであることが証拠上明らかなのである(同一一二丁、一五丁裏九二丁裏乃至九四丁裏)。このような事情を考慮するならば、△△の本件電話は同人の告訴の意思の表明と見るべきが当然である。
三、ここで附言しなければならないことは、法律に無智な一般人である△△は当時妻××子のなした告訴に瑕疵があるとは考えていなかつた為に、電話をするに際しては、単に××子の告訴した件についてはその告訴を取り消さず、厳罰を望む旨を申し立てたものと解すべきであり、他方捜査検事自身も××子が実母と偽つていた為、同女の告訴は有効なものと誤信し、△△の右の電話をそのまま受け取り本件の如き電話聴取書を作成したものと思われることである。即ち、捜査検事は△△が斯様に強硬な態度を明確にした以上、当然××子も同意見にふみ切つたものと考え、それならば既に母親が告訴していることではあるし、同一事実について、わざわざ父親の出頭を求め、告訴調書を作成するまでの必要はなかろうと云う気持から、単に△△自身も本件について強く犯人の処罰を求めていること(即ち告訴の意思表示があつたこと)を確認したことを立証する手段として、本件電話聴取書を作成したことが認められるのである(記録八六丁参照)。
四、右経緯を明確に裏付ける資料として、原審第三回公判に於て証人として出廷した△△は、裁判長の「証人の妻がした告訴が無効であるとしても証人自身で告訴する意思がありましたか」との質問に対し、「当時は相手から何のあいさつもなく腹立ちまぎれでいたのではつきり処罰を頼んだのですがその後出してやりたいと思つた時には起訴されていました……」と答えており、明らかに自ら積極的に処罰の意思表示をなした事実を認めているのである(同一二一丁裏)。更に、原審第一回公判に於て弁護人より提出された示談書並びに領収書はいずれも△△名義で作成されており(同六一、六二丁)、示談の交渉も専ら△△に対し行われていること等も△△自身から告訴した事実を推認せしめる資料として注目されなければならない(同一四一丁乃至同丁裏参照)。以上の如き諸事情を綜合勘案するならば、本件電話聴取書の記載内容に基き△△自身より本件について被告人の処罰を求める意思表示があつたと認定するのが相当である。
五、然るに原判決が右聴取書の内容に対する解釈として、△△は単に告訴を取消さないことを明らかにしたのみであるとして、その処罰の意思表示を無視したことは全く本件の実状と遊離したものであり、将又、捜査検事が△△につき詳細な告訴調書を作成せず、又当時は本件電話聴取書を以て告訴調書に代える意図を有せずに、継母の告訴に基いて本件公訴を提起したことから、直ちに捜査検事自身△△から告訴があつたものとは考えていなかつた筈であると結論することも甚しく不合理な見解と云わざるを得ず、原判決はこの点に於ても訴訟条件の存否に関しその認定を誤つたものである。
六、尚、原判決はその理由末尾に於て、本件電話聴取書の内容解釈に際し当然引用せらるべき××子の告訴調書(記録二五、二六丁)及び○○子の供述調書(同二一一乃至二一四丁)の不備を指摘し(即ち前者については○○子の被害事実に関する明確な記載がなく、又、後者については被害年月日が特定されておらず、更に両者共、被告人の姓を誤記していること等)、これらも考慮されなければならない旨判示しているので、この点についても一応所見を述べて置きたい。右各調書は、いずれも××子が○○子に付添い昭和三十三年十一月三日大森警察署に出頭し、先ず○○子が被害状況を供述し、次いで××子が、右被害について被告人の処罰を求めた際にそれぞれ作成されたものであることは、その作成月日、記載内容に照らし容易にこれを窺知し得る。而して○○子の供述調書中には本件被害年月日に関する供述として「いやらしいことをされたのは五回位あるがこれは三年生になつてからであること」及び「一番判然しているのは中村錦之助が白い着物を着て大川啓子(恵子の誤記と認められる)と夫婦になる映画を見た日のことでその日が日曜日であること」が明らかに記載されており、然も供述者が当時満九才の小学生であつたことを思い併せれば、被害者がその能力の範囲に於て本件被害事実及び年月日を特定したものであることは明瞭に認めうるところである。因みに○○子の供述の如き筋書の映画が、同年九月三日より九日までの七日間被害場所たる映画館で上映されたことは告訴当日の中に確認されているのであつて(記録四四丁)、右期間中の日曜日は一日しかないことは経験則上明白であり、且つ本件公訴事実中の犯行年月日たる同年九月七日が日曜日であつたことは公知の事実である。従つて斯様な資料を彼此綜合すれば、本件公訴事実について××子が告訴していることは真に明確であり疑問の余地なきところである。又、前記各調書に於て、被告人の姓を佐藤と誤記したことも問題とされているが、被害者が犯人として指摘したのは、「いつも映画に良く連れて行つてくれる小父さん」としての被告人を指すことは云うまでもない。凡そ斯様な些細な瑕疵までを指摘し、然も具体的な捜査着手以前に告訴が行われている実状を原判決自体が諒承し乍ら、結局斯様な形式的不備の故に告訴ありとなし得ないとするが如きは、余りにも形式にとらわれた見解であり、畢竟原判決は、その所論の形式的妥当性を担保せんが為に、個々の資料の実質的綜合的考察と云うことよりも個別的にその形式的適格性を追及するに急であつたため、現実に添わない結論を導き出したものというべきである。
第六、告訴に対する社会通念
一、最後に本件を通じて告訴に対する社会通念を顧慮して見たい。
凡そ告訴の一般的意味を理解し得ないものは現在では稀であろう。然し乍ら他面告訴(特に親告罪の場合)を、如何なる範囲のものが、如何なる罪につき、如何なる手続によつて行うかと云うことを熟知しているものも稀であろう。
二、本件の紛糾を招いた発端は××子が捜査機関に対し○○子の実母であると偽つたことに基くものである。然し××子が斯様な嘘言を敢えてした理由は単に継母と云う字句に対する世間態をつくろおうとする小さな虚栄心によつたもので、その嘘言の告訴の効力に及ぼす影響などは考えもしなかつたことは明白である。然し斯様な事情はあつても、××子が告訴当時○○子の被害事実について真実犯人の処罰を望んでいたことについて疑いをさしはさむ余地はなく、△△に於ても同様の意図であつたことは事実である。然も△△が当初から自己名義で告訴をしなかつたのは恐らく、「○○子から話を聞き近所のものや××子と相談の上、同女が○○子につきそつて告訴して来たのだから仕事もある自分がわざわざ警察に同じことを云いに行く必要はあるまい」との考えによるもので、かかる考え方を果して社会通念或は一般人の常識に反するものと云い得るであろうか。
三、仮りに××子の告訴が継母であること及び△△の意思を受けて行動したことが明白でないと云うことのみを以て、右告訴が無効であることを△△が当初より知り得たならば、同人は恐らく奇異と憤激の念に駆られ乍らも、直ちに自ら警察に改めて告訴すべく出頭したことであろう。まして本件に於ては既に明らかにした通り其の後被告人側に誠意がないことを憤つた△△は、自ら捜査検事に対し処罰を求める意思表示を行つているのである。この意思表示を目して××子の告訴を維持することのみに関する意思表示であり、自ら処罰を求める意思表示を含んでいなかつたとすることが社会通念に合致した解釈であると云い得るであろうか。
四、殊に本件は幼女に対する強姦未遂事件であり、極めて反社会的にして重大危険なる犯行であること、かの所謂「鏡子ちやん事件」の例を見るまでもない。されば諸外国の立法例は寧ろこの種犯行を非親告罪とし、一般予防の見地から重刑を以て臨んでいるものが多い。然るに我が刑法が斯様な性的犯罪を親告罪とした理由は、専ら被害者の意嚮を無視して訴追することが、更に重大な不利益を被害者の将来に及ぼす虞れを考慮したからに外ならない。而して本件に於て△△等が○○子の将来を思い苦慮し乍らも敢えて犯人の処罰を求めたことに対し、原判決は果して正当な評価を以て酬いたものと云い得るであろうか。
五、最後に、重ねて本件に関し捜査段階に於て止むを得ない事情ではあつても、××子が○○子の継母であることを看過した為、実父△△の告訴を軽視した過失を本控訴趣意に於て等閑視しようとするものではなく、素より将来に於て斯様な事態の再発を防止する為万全の努力と注意とを惜しむものではないことを明言して置きたい。然し乍ら、本件の如く一家を挙げて犯人の処罰を積極的に要望していたことが主観的にも客観的にも明白なるにも拘らず、告訴手続の形式的厳格性を強調する余り、実質的合理的判断を逸した原判決の判旨が、裁判による社会的正義の実現を期待する国民感情、或は社会通念に即応するものであるかどうかについては深い疑念を表明するものである。
以上の理由に基き、原判決は本件公訴を不法に棄却したもので到底破棄を免れざるものと思料し、本控訴に及ぶ次第である。